[略歴]
長崎県生まれ・佐賀県育ち・帝京大学文学部卒業(映画研究会出身)
大学卒業後は民間プロダクションにてビデオ撮影で生計を立てながら自主映画制作・小劇場での活動に打ち込む。
20代は非正規雇用にて会社以外で多くの人と出会い多くの経験をし、多くの失敗を繰り返す。
業務として初心者にビデオカメラの使い方を教える仕事を経験。
また、現代制作舎(大杉漣や風間杜夫などを排出した実力派俳優事務所)や佐藤正隆事務所にて俳優のトレーナーを行う。
ご縁あって映画監督「若松孝二」氏に弟子入り
若松監督略歴:1965年「壁の中の秘事」がベルリン映画祭招聘されたり近年も2010年「キャタピラー」にて演出した寺島しのぶがベルリン映画祭にて主演女優丞を受賞するなど世界各国で評価された巨匠
弟子入りした時代は若松監督が大作を撮れない時期だった為、映像ビジネスと映像教育の重要性を個人的にご教授いただいた。
※Han Scholēという名前は若松監督が作ったプロダクション「プロダクションスコーレ」と名古屋の映画館「シネマ・スコーレ」から拝借した。スコーレとは (scholē) とは、元来は「閑暇」「ひま」を意味する古代ギリシャ語。古代ギリシアにおいて自然哲学よりはじまるギリシャ哲学の形成に寄与した時間的なゆとりのこと。
2004年若松プロダクションを辞め、株式会社汎企画にて個人事業を持ち込み 創業者野澤正幸と仕事始めるが野澤社長はすぐに退任、新潟県・佐渡に帰り代表権を香月に引き渡した。
汎企画では教育分野の映像サービス「こどもメディアHUGO」を展開。年間を通し多くの映像制作とデザインの仕事を請け負う。
J SPORTS「MOTOR GAMES」はプロデューサーとして500回を数える長寿番組すべての番組を納品してきた。
Film Salvage Japanでは映画フィルムをデジタル化する活動を開始。映画「賭場あらし」とMV「共鏡」を16㎜フィルムで撮影・制作。海外で上映され評価を得た。
2012年帝京大学映画研究会の生徒より映像の仕事がしたいという申し出があり、学生に映像を教える活動を開始、個人的な私塾から「Han Scholē」のフォーマットになり現在3期まで担当し、卒業生は映像などクリエイティブ分野で活躍、たまに「田舎の田植え」と呼ぶ汎企画での撮影の手伝いに帰ってくる。